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オウム真理教の死刑囚13人、その家族はどうしているのか。死刑執行された死刑囚一覧、学歴エリートがなせ集ったのか、死刑囚達の最後の言葉などまとめすました …
特集の目次はこちらからどうぞ。↓
第2回 オウム真理教の死刑執行前と死刑執行後【麻原の神格化で勢いを増すカルト教団】
第8回 オウム真理教の修行内容は当時最先端の科学技術によって作られた
第9回 オウム真理教の幹部22人徹底調査【学歴・組織図・現在】
第10回 オウム真理教の娘たちの真相【4女と3女の両極端な心境】
第11回 オウム真理教のダーキニー写真まとめ
第12回 オウム真理教はアレフが継いだと言っても過言ではない?
総集編 オウム真理教で知っておくべき12の常識【特集まとめ】
「オウムは反社会、反国家である。ドブ川で美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。」これは麻原彰晃の言葉で、それに心酔した死刑囚達は盲目的な信仰を捧げ大きな過ちを犯してしまいました。そこにはオウム真理教独特の闇があったのです。
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目次はこちら
オウム真理教とは
オウム真理教とは、麻原彰晃こと松本智津夫が教祖・創始者として設立した宗教団体です。
オウム真理教は麻原の指示により、一般市民に対して、猛毒の化学兵器サリンを使用して無差別大量殺人に及んだ松本・地下鉄両サリン事件など、数々の凶悪事件を引き起こしたカルト宗教団体です。
現在でもオウム真理教は存在し、主流派(Aleph(アレフ)や山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分かれて活動を継続しているため、公安調査庁による監視が現在も続いています。麻原彰晃の死刑執行後にはオウム真理教内で神格化され、オウム真理教の教えは実質的に受け継がれていると考えられ危険視されています。
オウム真理教の死刑囚
オウム真理教は一連の事件で189人が起訴され、13人の死刑囚、5人の無期懲役判決を受けています。
一連の事件での被害状況は、29名が死亡6,000名以上が負傷した日本犯罪史で最も凶悪な事件とも言われています。死刑囚が関与したとされるオウム3大事件は特に注目されました。
オウム真理教と対立する弁護士とその家族を殺害した坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的とした松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と東京首都圏の混乱を目的に地下鉄車輌にサリンを散布した地下鉄サリン事件、実行犯は全て死刑囚となりました。
オウム真理教一連事件の確定判決によると、松本元死刑囚は元幹部らに指示し、89年11月に教団と対立していた坂本堤弁護士の一家3人を殺害。94年6月に長野県松本市でサリンを散布して住民7人を、95年3月には都内の地下鉄車内でサリンを散布して乗客ら12人を殺害するなどした。
オウム真理教の死刑囚13人
オウム真理教の死刑囚は13人です。
その13人の死刑囚も既に死刑が執行されています。松本死刑囚、土谷正実、遠藤誠一、新実智光、井上嘉浩、中川智正、早川紀代秀ら教団元幹部の死刑囚7人は2018年7月6日に死刑が執行されました。端本悟、豊田亨、広瀬健一、岡崎(宮前に改姓)一明、横山真人、林(小池に改姓)泰男残る6人の死刑囚は2018年7月26日に死刑が執行されています。オウム真理教の元幹部たち各死刑囚の素性を簡単に紹介します。
麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚
オウム真理教の教祖。
1987年、ヨガスクールを前身とする「オウム真理教」を立ち上げた松本死刑囚。ヒマラヤで修業し解脱した日本で唯一の最終解脱者を自称し、空中浮遊などの超能力をアピール、「カネさえあれば」というバブル景気の風潮の中で若者を中心に出家信者を増やしてゆきました。
神秘体験に興味を抱いた高学歴のエリートたちを含む若者たちは、松本死刑囚による終末思想や救済思想、そして非日常的空間での厳しい修業を行うようになります。
やがてオウム真理教は組織強化・拡大のため、救済の名の下に暴力をも肯定するようになる。土地取得をめぐるトラブルや、脱会信者の強引な連れ戻しも表面化。一連のオウム真理教の事件の首謀者です。
サリンを製造した狂気の化学者である土谷正実死刑囚
元オウム真理教幹部。
元死刑囚。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了、博士課程中退。化学(物理化学と有機化学)を専攻。ホーリーネームは クシティガルバ。オウム真理教では第二厚生省大臣をつとめた。オウム真理教の化学者として化学兵器や薬物を生成し、マスコミから化学班キャップと呼ばれた。
細菌兵器研究し、麻原四女の許嫁である遠藤誠一死刑囚
元オウム真理教幹部。
元死刑囚。北海道札幌市出身。ホーリーネームはジーヴァカ。オウム真理教内でのステージは正悟師で、1994年6月にオウム真理教に省庁制が採用されてからは厚生省大臣になり、後に厚生省を二分して生物兵器担当の第一厚生省大臣となった(化学兵器担当の第二厚生省大臣は土谷正実)。松本サリン事件において実行犯、地下鉄サリン事件においてサリン生成の責任者を務めた。
教団で最も血なまぐさい新実智光死刑囚
元オウム真理教幹部。
ホーリーネームはミラレパ。オウム真理教内でのステージは正大師で、オウム真理教が省庁制を採用した後は自治省大臣だった。1986年にオウム真理教の前身であるオウム神仙の会が最初に開いたセミナーから出席。岡崎一明や大内利裕と並ぶ古参信徒で、宗教法人オウム真理教の九人の「設立時責任役員」の一人。坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件の実行犯。地下鉄サリン事件では運転手役。
裏を仕切った側近中の側近である井上嘉浩死刑囚
1969年、京都市に生まれた井上死刑囚は、高校時代に教団の前身「オウム神仙の会」に入信。
松本智津夫死刑囚の寵愛を受け、25歳の若さでオウム真理教幹部の地位に上りつめた。松本死刑囚から、釈迦を守るため最後まで行動をともにした伝説の聖者「アーナンダ」のホーリーネームを授けられた。オウム真理教内では、裏の実行部隊「諜報省」のトップを務め、盗聴、誘拐、襲撃など、オウム真理教のダーティな部分を担ってきた。地下鉄サリン事件では、サリンをまく実行部隊をとりまとめる役割を果たしたとされる。
出家してたった2カ月後に坂本事件に関与した中川智正死刑囚
岡山県出身の中川死刑囚は、京都府立医科大学卒業後、研修医として病院に勤務。
1989年に病院を退職し、オウム真理教に出家した。教団では「オウム真理教附属医院」の顧問のほか、松本智津夫死刑囚の主治医として、オウム真理教幹部へとのぼりつめた。出家して、わずか2か月後に関与した坂本弁護士一家殺害事件では、龍彦ちゃんの口を押さえた中川死刑囚。猛毒サリンの製造にも積極的に関わった。
武装化を進めた秘密兵器研究家 早川紀代秀死刑囚
大阪出身の早川死刑囚は、神戸大学農学部、大阪府立大学大学院を経て大手ゼネコンに就職し、その後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入信。
新実智光死刑囚とともに、常に松本智津夫死刑囚の両脇を固めていた。松本死刑囚より年上で、若い教団幹部が多い中で一目おかれる存在だった早川死刑囚。松本死刑囚からの信頼は厚く、脱走した信者の連れ戻しや様々な特殊工作を行う実行部隊の責任者として、その地位を固めていった。
山梨県上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれる教団施設の建設など国内の勢力拡大や海外進出、そして武装化の中心的役割を果たした早川死刑囚。ロシアに頻繁に訪れ、機関銃などの武器を日本に持ち込もうとしていた。
小池(旧姓・林)泰男死刑囚、日比谷線散布 8人を犠牲に
東京都出身。
工学院大電気工学部(2部)を1983年に卒業後は定職に就かず、約3年にわたってインドなどを放浪した。帰国後、都内の電機会社に勤務したが、松本死刑囚の著書を読み、87年に「オウム神仙の会」に入会。翌年出家した。
教団の横浜、大阪両支部の支部長を務め、省庁制導入後は「科学技術省」の次官となった。 地下鉄サリン事件では、日比谷線に持ち込んだサリン3袋に傘を突き刺し、散布役5人の中で最多となる8人の犠牲者を出した。松本サリン事件では、サリン噴霧車の製造に関与するなどした。
豊田亨死刑囚、物理の専門家で兵器製造担当
兵庫県出身。
東京大理科1類に入学し、同大大学院理学系研究科で素粒子論を専攻した。松本死刑囚の著書を読んでヨガに興味を持ち、大学1年だった1986年にオウム真理教に入信。松本死刑囚の勧めで出家した。オウム真理教では兵器製造を担当。
オウム真理教の出版物には「物理学のエキスパート」として登場し、省庁制導入後は「科学技術省」の次官とされた。地下鉄サリン事件では、日比谷線の車内にサリンを散布し、男性1人を死亡させるなどした。公判ではほとんど弁解を口にせず、1審の最終意見陳述では「今なお生きていること自体が申し訳ない」などと述べた。
広瀬健一死刑囚、武器密造関与 小銃を作製
東京都生まれで、早大理工学部応用物理学科を首席で卒業した。
早大大学院時代の1988年にオウム真理教の本を購読後、「熱いものが尾てい骨から頭に上がる体験」を感じ、入信。大手電機メーカーへの就職を断って出家した。オウム真理教では「科学技術省」に所属し、武器密造計画に深く関与した。
ロシアで自動小銃の製法を調査し、実際に小銃を完成させた。地下鉄サリン事件では丸ノ内線の車内でサリンをまいた。逮捕後に専門書を自ら調べ、入信のきっかけとなった「神秘体験」が科学的に説明できる幻覚的現象だったと確信。公判では積極的に事件への関与を供述した。
横山真人死刑囚、丸ノ内線車両にて散布の実行犯
神奈川県出身。
東海大工学部応用物理学科を卒業後、群馬県の電気会社に就職したが、松本死刑囚の著書を書店で読んだことをきっかけに入信した。オウム真理教では、「科学技術省」次官に就任。自動小銃製造の総括責任者に選ばれるなどした。
地下鉄サリン事件では、丸ノ内線の電車内にサリンをまいた。この車両から死者は出なかったが、結果全体の責任を担う「共同正犯」と認定され、死刑とされた。1審判決後に接見した弁護士には、「死刑になった方が、被害者に少しでも納得してもらえる」と語っていたという。
端本悟死刑囚、大学で空手 坂本弁護士一家殺害事件を実行
東京都出身。
早稲田大法学部に進学後、オウム真理教に入信した高校時代の友人を脱会させるため教団の出版物を読んだ。しかし、悟りを目指す教義や修行に「これは本物だ」と次第にひかれるようになり、1988年に入信。大学は退学した。大学入学後から空手を習い、オウム真理教内の武道大会で優勝。その腕を見込まれ、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯グループに選ばれた。
「自治省」に所属。公判では松本死刑囚について、「八つ裂きにしても許せない」などと述べ謝罪した。一方、事件について「冗談みたいに偶然が重なった」などとも述べ、遺族から批判されたこともあった。
宮前(旧姓・岡崎)一明死刑囚、坂本弁護士の住所調べ殺害
山口県出身。
生後間もなく養子に出されるなどし、父親像を松本死刑囚に求めたとされる。高校卒業後、職を転々としている最中に入信。オウム真理教では尊師に次ぐ位の「大師」だった。坂本堤弁護士一家殺害事件では弁護士宅の住所を調べ、自ら首を絞めるなどした。
約3か月後の1990年2月、自身を含むオウム真理教幹部らが立候補していた衆院選の最中に選挙資金を持って逃走し、教オウム真理教を脱会した。公判では、坂本事件での自白によって自首が成立するかどうかが争点となった。1審は、自首は認定する一方、「自己保身のためだった」として刑を軽くすべきではないと判断した。
オウム真理教の死刑囚の家族
オウム真理教の死刑囚の家族は現在どうしているのか気になる人もいるでしょう。
神奈川県伊勢原市の横山真人元死刑囚(享年55)の実家を訪ねると、1歳上の兄が玄関で取材に応じ「父が死刑のショックで体調を悪くしまして。父はもともと認知症ですし、母は心臓が悪く、私が面倒をみている状態なので、すいませんが。遺骨は戻っています。引き取りにいきました」と対応しています。
端本悟元死刑囚(享年51)東京都八王子市の自宅では、母親が玄関の扉を開けて、 「ごめんなさい。誰にも話さないことにしておりますので、ごめんなさい」 と何度も謝ったようです。オウム真理教に関係していない家族を報道非難する記事もありますが、家族に何の罪はなく放っておいて欲しいという意見に賛同します。
オウム真理教の死刑囚一覧
- 松本智津夫死刑囚(63)
- 中川智正死刑囚(55)
- 新実智光死刑囚(54)
- 井上嘉浩死刑囚(48)
- 土谷正実死刑囚(53)
- 遠藤誠一死刑囚(57)
- 早川紀代秀死刑囚(68)
- 端本悟死刑囚(50)
- 宮前(旧姓・岡崎)一明死刑囚(57)
- 横山真人死刑囚(54)
- 広瀬健一(死刑囚53)
- 小池(旧姓・林)泰男死刑囚(60)
- 豊田亨死刑囚(50)
オウム真理教の死刑囚は学歴が良い
オウム真理教の死刑囚は学歴が良い人が多くいました。
特に早稲田大学出身の広瀬健一元死刑囚は学生時代にノーベル賞を取れる逸材だと指導教授から言われるも、結局は地下鉄サリン事件の実行犯となってしまいました。
なぜ、学歴が良い、頭が賢いのに凶悪な事件に身を染めてしまったのか。医師、弁護士、科学者達が宗教国家を夢想し、麻原彰晃の下に集ったのは時代背景もありますが、そこに居場所があったからでしょう。
オウム真理教の提示した新しい価値観(考え方)や世界観に救われ、そこには善悪や正謝という尺度は存在しない独特な宗教の世界が存在し、自らの存在意義(生きがいや使命感)を見つけたのかもしれません。
そして、オウム真理教の組織自体、階級制度になっていて、カルト集団であったにも関わらず、欺瞞や嫉妬、階級闘争、組織内の権力闘争がありました。麻原の寵愛を受けたい、大事にされたい、こういった感情がありましたから、麻原のマインドコントロールが巧みだったという他ありません。
オウム真理教の死刑囚の最後の言葉まとめ
松本智津夫
自分の両親に向け「心配しないでと伝えてください、ありがとうございました」
中川智正
「支援者、弁護士に感謝しております。自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えている。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。(刑事)施設の方にもお世話になりました」
中川智正
「人は皆 時の定まぬ 死刑囚 会って別れて 夢と消えゆく」
井上嘉浩
「まずは、よし」
土谷正実
執行前、事件の被害者や遺族に残した言葉はありません。
遠藤誠一
麻原彰晃の四女に向け「あなたを守ってあげられるのは尊師と私しかいません(中略)。今生の今後も、そして来世も、私をずっと愛し続けてください」
早川紀代秀
「(死刑が執行されると)国民が殺生というカルマを負うことになるので(死刑は)いけないと思う」
端本悟
最後の言葉は無く、出家の時に何度も止めた母は「あのとき引き留めておければ、こういう結果になってとても悲しい」と声を詰まらせた。
宮前(旧姓・岡崎)一明
執行前、事件の被害者や遺族に残した言葉はありません。
横山真人
「誰にどう伝えても、理解してもらうことはできない」
広瀬健一
「私どもが殺傷してしまったのは、社会で誠実に生きてこられた方々ばかりでした。残酷な行為をした愚かさは、悔やんでも悔やみ切れない思いです。」
小池(旧姓・林)泰男
「なぜ事件は起こされたのか。どうすれば起こさずに済んだのだろうか、と言った類の問いに対しては、どのような答えにも、私自身納得することができない」
豊田亨
「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」
まとめ
オウム真理教の死刑囚達が犯した事件は消える事はありません。
カルト宗教は今ではテロと名を変え、現在でも世界中で暗躍しています。日本では目立たないだけでその闇は意外と近くにあるのかもしれません。
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あとがき
オウム真理教の死刑囚が引き起こした事件も他人事ではありません。
人間の心は案外脆いもの、今でも悩む人はカルト性の高い宗教に引き寄せられる可能性は十分に在り得ると言われています。
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